被災地の映像を見ていると、何もできない自分に歯がゆくなってくる。
募金はした。だけど、有名人みたいに大金を寄付できるわけでもない。節電もした。でも、被災地にこの分が届くわけでもない。現地にいきたい気持ちもある。だけどきっと足手まといになってしまうだろう。
考えれば考えるほどに、深いため息がでる。
「自分にも何か...、できることはないのだろうか?」
見当もつかないと思ったその時、マザー・テレサのことが頭にうかんだ。
彼女は世界中の苦しむ人たちを、どのように助けてきたのだろう?
本棚でホコリをかぶっていた一冊を開いてみたら、ヒントがあった。
僕のように、何かしたいのに「何にもできない無力」を感じている人の小さなヒントになればと思い共有します。
「小さなことでも、大きな愛をこめてやることならできる。」
We can do small things with great love.
マザー・テレサ
この言葉は一見、「美しいキレイゴト」のように聞こえてしまう。
しかし、これは「今の自分にできることを現実的に考えて、それに愛情をこめて着実に取りくみなさい」というメッセージなのだと思う。
億単位の義援金、何万人の被災者の救護...。
「大それたコト」ばかりに目がいって、自分のできることを探すのをやめていた。
森ばかり見て、木を見ていなかった。
マザー・テレサはいう。100人救えないのなら、一人を救いなさい、と。
彼女だって、多くの修道女たちに支えられて活動していた。
その修道女のひとりひとりが、「小さなできること」を積みかさねて大きな結果を導いているのだ。
できる範囲の募金、節電、情報提供、会社の企業活動を通しての支援など。
そこから、できる限りやってみようと思う。
「(遠くの人よりもまず)、隣人に気をかけて欲しいのです。」
I want you to be concerned about your next door neighbor.
マザー・テレサ
昨日、トイレットペーパーを買い込んだオジサンに「どけよ!」とぶつかられて思わずキレそうになった。被災地の人が苦しんでいるのに、あの自己中心的なオヤジときたらムカつく!としばらく怒りがおさまらない。
デマがとびかったり、放射線がナントカと情報が流れたり、余震がおきたり、スーパーの品物がなくなったり、帰宅難民になりそうになったり、停電になったりすると、私たちは怖くなって自己中心的な行動をとってしまう。(先の例では、オジサンだけでなく私もその一人だった)
こういう時に「まわりの人を思いやれているか」と反省の念がわく。
マザー・テレサは、「よい行いは、愛の連鎖をつくるつながり」になると言う。
ひとりひとりが隣人を思いやっていくことで、それがドミノのように被災地をふくめた全体最適につながっていく。
遠くの人を慈しむのはカンタンだけど、近くの人は意外と難しい。
これからも恐怖に突き動かされる事態が起こるかもしれない。
そんな時こそ、正しく情報・知恵をあつめて、愛と思いやりのある行動をとりたいと思う。
「平和は、笑顔からはじまる。」
Peace begins with a smile.
マザー・テレサ
被災地の情報が入ってくるたびに、胸がはり裂けそうな気持ちになる。
悲しい気持ちになってくるし、他人の行動が「デリカシーに欠けている!不謹慎だ!」と目くじらを立てたくなる時もある。
そんな時、マザー・テレサならどうするだろう?
マザー・テレサはいつも、笑っていた。
笑顔を大事にしていた。
彼女は「死を待つ人びとの家」という、その名のとおり死を待つだけの人が集まるホスピスを作った。絶望的な場所だ、と僕は思ってしまうが、そんな場所でも彼女と修道女たちはいつも笑顔を絶えさなかったという。
マザー・テレサというと聖母のような優しいイメージがあるかもしれない。しかし、たくさんの人の命を救うという使命を全うする彼女にはセンチメンタルな部分などなかったという。
代わりにあったのが、愛するために前進する強いハートだ。
「あなたのハートが愛で燃えるには、"楽しむこと"が必要なのです」
いつまでもヘコんでいても、しょうがない。
まずは楽しんで笑うことから。
「リーダーを待っていてはいけない。一人からやりなさい。人から人へ。」
Do not wait for leaders. Do it alone, person to person.
マザー・テレサ
「もっと、こうすればいいのに!ダメだなぁ...。」
飛び交う情報の中で、ある人を責めてこんな風に思ったことがあるかもしれない。
人にはそれぞれ得意な分野があって、「こう改善すればいいのに」というアイデアをひらめくことがある。どうしてそういうことがおきるかというと、あなたにそれを実現・手助けできる素質が備わっているからだ。
そのため、アイデアを思いついたら、文句をいうかわりに知恵をしぼって行動しなければいけない。
(一部の人は違うというかもしれないが、) マザー・テレサは現代でいう社会起業家だった。それも飛びっきりのアイデアと行動力を持ち合わせたキレモノ。
ある時は、街の人が飲み終わったココナッツジュースのゴミを回収して、その繊維からマットや敷物をタワシをつくるというビジネスを立ち上げた。
またある時は、ローマ法王から寄贈された高級車を商品にした宝クジを売り出し、500,000ルピー(約千五百万円)のお金をあつめ、ハンセン病の人たちが暮らすための村を一つ作りあげてしまった。
マザー・テレサの修道会の朝は、「聖フランシスコの祈り」から始まるが、その中に次のような一節がある。
「神よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください」
あなたに舞い降りたそのアイデアは、実は「神からの指令」なのかもしれない。
「貧しいことは、美しい。」
昔、マザー・テレサの本を読んだ時、この言葉の意味がサッパリわからなかった。
本にはこんなふうに載っている。
「健康な人や豊かな人は、どんな嘘でもいえる。しかし貧しい人は握りあった手、みつめる視線に、ほんとうにいいたいことをこめるのよ。ほんとうにわかるのよ。かすかに震える手が"ありがとう"っていっているのが。貧しい人ってほんとうに、すばらしいわ。」
何かが欠乏している状態だと、与える側も、受け取る側は「ありがたみ」がわかる。
3月11日の金曜日、電車が止まって、やむを得ず歩いて帰った。電車だと たかだか15分ぐらいの道のりが、歩いて帰ったら4時間近くかかった。電車に感謝した。家に着くとガスが止まっていた。ガスが止まっていることに気がつかずにシャワーを浴びたらとても寒かった。温かいお湯が出ることに感謝した。
当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃないことに気がついて「ありがたい...」と心の中で合掌した。
スッカラカンのコンビニで一箱だけ残っていたカロリーメイトの一袋を友だちにあげたら、命の恩人ぐらいに感謝された。Twitterでなんとなく情報をつぶやいたら「助かった」と連絡が来た。
いつもだったら大したことないことが、感謝されて うれしかった。
私は今まで自分勝手に、他人に関心も持たずに生きてきた。
この悲惨な状況でたった一つ救いがあるとしたら、こんな自分にも大ウソだと思っていた「無条件の愛」というモノが備わっていたことに気がつかされたことだった。
そして、自分だけではなく日本や世界の人びとにも「無条件の愛」があることに、今ごろになって気がついた。手と手をとりあうその光景に、泣けてきた。
今なら、サッパリ理解できなかったマザー・テレサの詩が理解できる。
胸に刻んで、自分にできることをしていきたいと思う。
親切で慈しみ深くありなさい
あなたに出会った人がだれでも
前よりももっと気持ちよく
明るくなって帰れるようになさい
親切があなたの表情に
まなざしに、ほほえみに
温く声をかけることばにあらわれるように
子どもにも貧しい人にも
苦しんでいる孤独な人すべてに
いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい
世話するだけでなく
あなたの心を与えなさい
マザー・テレサ
This article is INSPIRED by
マザー・テレサ あふれる愛
マザー・テレサのことば―神さまへのおくりもの
"Mother Teresa of Calcutta" by Quotes Daddy

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