頼み下手な人が知らない「喜ばれる頼み方」と「迷惑がられる頼み方」の違い

ー 頼み上手は「お願いされて、嬉しい♥」のシチュエーションを知っている

Monkey

あなたは会社や家、学校で、人に何かを頼まれたとき、どう思いますか?

私の場合、正直にいうと
「メンドクサイこと、頼まないでくれよ〜?」
とよく思っちゃったりします(反省)。反射的に冷たい顔もしてしまっている時もあるかもしれません。

しかし一方で
「頼んでくれるなんて、嬉しいなぁ」
「やりましょう!」
「しょうがねぇな~(嬉しい顔)」
「甘えられるのも、悪くない」 

と二つ返事で、快く引き受けてしまうこともあります。頼まれて、うれしい時もあるのです。

この違いは一体にあるのでしょうか?人柄?内容?頼み方?

私は大の「頼みベタ」。
いつも、めんどくさいこと頼んでないかなぁ、相手は嫌がっていないかなぁ、といつも不安。

自分が頼み事をされたときに、どんなときは気持ちよくて、どんなときはムッとするのかわかれば、もっと自然にお願いできるようになるかもと思い、ちょいと真剣に考えてみることにしました。

 

頼まれて嬉しかった時1. 内容に「出番感」がある

「これは私の出番だな」
頼み事をされて嬉しいのは、「自分が役に立てる出番」の時。ピンチを救うヒーローみたいに。

人の心には誰かに必要とされたい、役に立ちたい・良いところを見せたいという願望があります。それを叶えてくれるチャンスが「出番」です。

ではどうすればこの「出番感」は高まるのか?また、どのようなときに最大化されるのでしょうか。ちと、考えてみました。

「出番感」が最大化されるとき:
・頼まれた本人がそれを「得意分野」と思っていること
・しかしそれがまだ、まわりの人にあまり知られておらず、ムズムズしていること
・好かれたい人が見ていること

これらの要素が揃えば「出番感」が発動し、やる気・使命感が燃え上がってきます。僕なんかは単純(アホ)なので「やったるぞー」と実力以上のパフォーマンスを発揮したりします。

そして、メンドクサイことをやらされているはずなのに、お願いしてくれた人に感謝の念すら湧いてきます。

しかし、これは普段からよく人に興味や愛をもって、観察やコミュニケーションしていないとできない業。逆の立場から考えると、自分も出番を抜擢できるようなカッコイイ人になりたいなぁと思います。

頼まれて嬉しかった時2. 双方が「生身の人間」として、お願いし・されている

会社や家庭内…、組織のなかで「役割」を演じながら、何かを果たしてもその報酬は受け取れない。

「いや仕事ですから。サラリーマンとしてやったのみですよ」
「まぁそんなのは、妻として当たり前だよな」
「○○株式会社の○○部に、お願いします」

こんな感じの役割ベースの依頼は、「本当の自分」の心には届かず、なんかあんまし嬉しくない。

役割をひっぺがして、「生身の人間として、あなたに!」ということでお願いし・されると、人と人とのつながりの喜びがうまれて、嬉しくなる。

この人は、リアルに私に頼んでいる!
色んな物を度外視して、この人にこそやってもらいたいわ!

こんな双方のマッチングが発生すると「あんたのために、一肌脱ごうじゃないか」と嬉しくなる。

頼まれて嬉しかった時3.心理戦をしかけてこない「隠さなすぎている」お願いだった

私たちは、「普通に頼んだらNoと言われる」という恐怖から、しばしば交渉テクニックを使ってしまいます。

落とし所を考えた上で一発目に無茶をつきつけたり、小さな同意を重ねて大きな同意をとりつけたり、デメリットを隠しメリットばかりをプレゼンしたり、おおげさなストーリーを考えたり、ウソの弱みを見せたり、褒めておだてたり、ゴマをすったりなどと。

しかし、そんなものは全てお見通しである。「交渉術への応酬」という無駄な労力を強いられることに、誰もがウンザリしている。

こんな状況だからこそ、そういうものを取っ払った「隠さなすぎる」ストレートでぶっちゃけたお願いは、嬉しくて気持ちがいい。それは信頼されている証という点でも嬉しいし、純粋に力になりたいという気持ちがわく。

普通になんのヒネリもなくノープランでお願いしたら、断られる?
いやいや、よくよく考えたら、逆かもしれませんね。

その他の嬉しいエレメント

その他にも、次のような要素がそろっていると、当たり前にうれしい。
・十分な準備時間があった … 仕事への敬意を感じる
・お金を十分、支払っている … 価値への敬意を感じる
・メリットがある … いわずもなが。

「頼まれて嬉しい」時もあるという前提で、「嬉しい頼まれ方」を思いやる

「頼まれることは、メンドクサイことだという前提」で、メリット・デメリットをプレゼンしたり、テクニックを使ったり、上下関係や役割を行使し続けていると、どんどん頼みベタになっていっちゃう。頼み方にいくら習熟しても、後ろめたさが消えることはない。

人の幸せは、人とのつながりによってうまれる。

善意と敬意と信頼あるのつながりであれば、迷惑すらうれしい。助け助けられ「自分は人の役に立てるんだ」と思えれば、それが個人の喜びとなる。与えることは受け取ること、受け取ることは与えること。

今まで頼みベタだった私。ちゃんと心が繋がっていれば、遠慮ゴコロは不要であると理解し、「頼まれて嬉しいか」をちゃんと思いやることができるようになろうっと。

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