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おじいちゃんの「死」で考えさせられた医者との関わりとQOL − 大往生したけりゃ医療とかかわるな

http://www.earthinus.com/2013/04/qol.html
おすすめ度:大往生したけりゃ医療とかかわるな

おじいちゃんの最期と、医療に対する「?」

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 もう数年前の話になるが、妻のおじいちゃんが亡くなった。

 90歳近かった。裏表がなく、顔から優しさが滲みでるおじいちゃんだった。結婚する前、私がはじめて妻の実家に行った時、真っ先に迎えてくれたのもおじいちゃんだった。晴れた空の下で子供のようにはにかむ笑顔は、今でも脳裏から離れない。

 私は「最期」に立ち会ったわけではないが、妻から聞いた話によると、とても安らかに逝ったそうだ。しかし、おじいちゃんが死にむかい、医者と関わっていく過程の中で、医療というものへ信頼が揺らぐ出来事にいくつか出くわしたのも事実だ。

 

「天井が落ちてくる」事件

 ある日、おじいちゃんが「天井が落ちてくる」というようになった。

 もちろん、天井は落ちておらず、なにかの幻覚もしくは夢を見ているのだろうと思われた。年齢が年齢だし、家族のみんなはついにボケがはじまったと口々にいった。

 その頃からなんだか、表情もボーッと朦朧としている感じになり、呂律も悪くなってしまい、私は残念さと同時に、これが老いという人間の摂理か、と落胆したのを今でも覚えている。

 しかしある日、妻の実家に帰ると、驚いたことにおじいちゃんが元気に回復していた。顔もシャキっとしていて、話す言葉も歯切れが良い。もちろん「天井が落ちてくる」とも言わない。一体、何があったのだろうか?

 

耳を疑った回復の原因

 「いやぁ、良くなってよかったですね。」
 僕がそう言うと、妻の母が

 「医者からもらった薬をやめたのよ」

 と言った。「え!大丈夫なんですか?」と聞くと「この薬、インターネットで見てくれる?」と頼まれた。私は言われたままにiPhoneで調べると、副作用の欄に幻覚、ボーッとする...などと、おじいちゃんがかかっていた症状がすべて書いてあった。

 薬だから副作用があるのは、あたりまえだとは思うが、えーっそういうのって、事前に教えてくれないの?インフォームド・コンセントは無し? しかも、医者のくれる薬を盲信していた私にとってはけっこうショックな事件だった。

 おじいちゃんは、薬をやめて日数が経過するたび、元気になっていった。

 

「手足しばりつけ」事件

 また、おじいちゃんが体調を崩して入院した時、あまりにも非人間的でかわいそうだ、と思った出来事もあった。

 夜、おじいちゃんが点滴を嫌がって外してしまいそうになったり、「家に返してくれ」と取り乱したりすることがあったため、数人がかりで、ロープで手足をベッドに縛り付けたというのだ。

 看護婦さんも一人で大勢の患者さんをみなければならず、大変なのはわかるが、一晩中、きつく縛って体の自由を奪って我慢させ続けるなんて、かわいそすぎないか。体にチューブがついて眠っているおじいちゃんを見て、胸が痛んだ。

 

自分、そして、自分の両親を同じ目にあわせたくはない

 医者を非難したいわけではない。

 かくいう私も18歳のとき、医療に命を救われた。きっと江戸時代以前だったら死んでいたらしい。そのおかげで今がある。家族も持てたし、時々、仕事に満足することもできている。

 病院も大変なのだろう。先日、インフルエンザにかかり午前中に病院にいったのだが、お年寄りでごった返していて3時間待ち。これでは、一人ひとりに十分な時間をかけて診察したりケアをしたりするのは不可能だろう。不正解の医療をしてしまっていることも多々あるのではないだろうか (おじいちゃんのように)。

 「自分が年をとって、体が悪くなったらどうするのだろうか?
  というか両親が入院したらどうするんだ?」

 おじいちゃんが逝ってから、そんなことを考えるようになった。

 自分についてはまだまだ先の話だが、両親についてはリアリティのある話だ。僕は両親が薬で幻覚をみたり、病院で手足を縛り付けられたとき、どう思うのだろうか?
 そして、お父さん、お母さんは、どう感じる?

 

クオリティ・オブ・ライフ

 そういえば昔、授業で、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)という言葉を習った。日本語に訳すと「人生の質」。ただ医療で命を引き伸ばすだけではなく、生きている時間の質を考えるべきだ、という考え方だ。

 例えば、長生きするためとはいえ、ボーッする薬を飲んで、生きている時間が薄まってしまっては、QOLが下がったことになりはしないか。また、病院で手足を縛られ自由がなくなってしまったら、危篤には対応できても、QOLは下がるといえるかもしれない。がんの抗がん剤治療もこれにあたったりする?

 人の人生は、質vs量のように単純な対比できない部分もあるけれど、考えさせられる問題だ。

 

「大往生したけりゃ医療と関わるな」

大往生したけりゃ医療とかかわるな

 そんな折大往生したけりゃ医療と関わるなという本に出会った。

 京大の医学部を卒業し、病院長・理事長を経て、老人ホームの配置医とななり、数百人の死に付き添ってきた中村仁一氏という人が書いた本だ。なんでも、すごく売れているらしい。

 とても攻撃的なタイトルだが、中身はそんなにラディカルではなく、著者の経験から、至極全うなことが書かれている。

 色々と、感銘を受けることが書かれているのだが、中でも私に新しい視点と選択肢を与えてくれたのは、「自然死のすすめ」の部分だった。

 

穏やかに死にゆく「自然死」の4つの条件

  • 「飢餓」... 脳内モルヒネ様物質が分泌される
  • 「脱水」... 意識レベルがさがる
  • 「酸欠状態」... 脳内モルヒネ様物質が分泌される
  • 「炭酸ガス貯溜」... 麻酔効果あり

 頭がフワーッと心地良い状態で、麻酔効果のなか、徐々に意識レベルが下がってまどろみのうちにあの世へ行く。理想的な死に方ですね。(そういえば僕も昔、気絶した時、こんな感じだったなぁ)

 しかし、死にゆく過程の中で、胃ろうや点滴で栄養や水分を補給したり、酸素マスクで無理やり空気を供給したりすると、脳内モルヒネがでなかったり、麻酔効果が得られなかったり、ハッキリした意識の中で痛みと戦ったりしなければならず、場合によっては激痛にもんどり打ってしまう可能性が増える。

 「食べないから死ぬのではない「死に時」が来たから食べないのだ」著者の中村氏はこう言う。フランスでは「老人医療の基本は、本人が自力で食事を燕下できなくなったら、医師の仕事をはそこで終わり、後は牧師の仕事です」というそうだ。よくよく考えれば、自己治癒力を超えて、不可抗力に逆らって生きることには無理があり、そこにはQOLの犠牲がつきまとう。

 

 

シンプルに生きて、シンプルに死ぬ

 おじいちゃんのこと、そして、この本を読んで思った。
 私はシンプルに生きて、死ぬ時もシンプルに行こうかな、と。

 親にもそうしてあげたいけど「大往生したけりゃ医療と関わるな」を送ったら、一瞬、親不孝な息子と思われるだろうな〜(^^;) ま、こういうのは元気なうちに早めに見ておくのがいいかもしれない。

This article is INSPIRED by
大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

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