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後ろ向きだった私の「人生を変えてくれた映画」 ― イエスマン 「YES」は人生のパスワード

http://www.earthinus.com/2013/01/yesman.html
おすすめ度:イエスマン

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毎日が、気だるい「No」ばかりになってしまっていませんか?

 飲みに誘われたら
 「すいません...、その日はちょっと先約があるんですよ」
 仕事を頼まれたら
 「検討しておきます (先延ばしているうちにどうか忘れてくれ...)」
 依頼のメールが来たら
 「めんどうくさいなぁ、削除」

 ここのところ、なんとな〜く断ってしまうことが増えた。気だるい「No」ばかり言っている。何かを頼まれても、反射的に「No」。
 やばいね、心がちょっと引きこもっているのかもしれない。

 「これじゃあダメだ」思いつつも、頼みごとをされると、ズーンといろんな事が頭をもたげてしまう。

  • めんどうくさい仕事は増やしたくないなぁ...
  • 縛られたくないなぁ...
  • 上手にできないことは、したくないなぁ...
  • どうなるかわからないものに確約はできないな

 結局、出てくる言葉「No」ばかり。「Noマン」だよ、俺はまったく。
 最近は、なんでも否定から入ってる重症ぶり。ホントにそのうち、まわりから人がいなくなるかもしれない。どうにかしないと。


そんな「Noマン」な私のケツを蹴りあげてくれた映画

「なんでブログやめちゃったの?がんばってたじゃん?」

 友人に聞かれた。私は以前、ブログを書いていた(このブログです)。
 前はわりとマメに更新していたのだが、ふとブログを書かなくなって、かれこれ1年近くたつ。

「別にやめたわけじゃない。また、いつか再開するよ」
「いつかっていつだよ?」
「知らねーよ!なんでお前にそんなこと言われなきゃいけねーんだよ」

yesman.jpg こんな押し問答がしばらく続いた後、一本の映画を紹介された。
 それは、ジム・キャリー主演の「イエスマン "YES"は人生のパスワード(2009年公開)」だった。「まぁ、時間があったら見ておくよ」ぐらいにいっていた私だったが内心、自分のヤバさに気がついていてかなりの危機感があったため、帰り道のTSUTAYAで速攻でレンタルして、その日のうちに見た (^^;)

 映画を見終わったあと、なんと!私はすぐにブログを書き始めた。
 1年近くもウジウジと重い腰があがらなかったのに!
 すごいよ、この映画。自分でもビックリしている。超効果テキメンじゃん。

 もし、私のように毎日が気だるい「No」ばかりになってしまっていて、そこから抜け出せない人がいたら、ぜひとも見て欲しい。ネタバレしない範囲で紹介します。


「もしも、すべてに"Yes"とこたえたら」

 これ↑がこの映画「Yesマン」のキャッチフレーズだ。

 はじめて聞いたとき、心臓がギュッと握られるようなイヤな感じがした。だって、そんなことしたら、人生がしっちゃかめっちゃかになって、つぶれちゃうじゃん!?


あらすじ:
 仕事にもプライベートにも「ノー」「嫌だ」「パス」と答える極めて後ろ向きの男、カール・アレン(ジム・キャリー)。
 親友の婚約パーティまですっぽかし、「生き方を変えない限り、お前はひとりぼっちになる」と脅されたカールは、勇気を振り絞り、とあるセミナーに参加。
 
 「素晴らしい人生を送るための、唯一のルール」は、全てのことに、それがどんな事であっても「Yes」と言うだけ。
 
 その後、カールは、何事も否定せず「Yes」を連発し、人が変わったように運気をどんどんあげていく。
 すべてに"YES"と言ったらどうなるか、を実際に試してみたBBCラジオディレクターの体験実話。

 「すべてのことにYesでこたえる」
 ええ!それって、ハイリスクノーリターンじゃないの?と思う人もいるかもしれません。プチ・ブラック会社に務めている人なら「気が気じゃないぜ!」というレベルの話です。

 私もはじめはそうでしたが、映画を見た後に、変わった。
 すっきりした爽快感と同時に、自分の人生にも「Yes」という言葉を取り入れよう、と自然に思えることができた。


[No脳]どうしてすべてが、面倒くさくなってしまったのか

 「なんてくだらない世界にしてしまったんだろう。この先どうなってしまうんだろうか?」
 以前の私は、布団に入って電気を消して目を閉じた後よくこんな考えが浮かんできた。ヘコんだ。
 疲れて何もかもが無意味に思えて、めんどうくさかった。Noばかり言った。No脳だった。

 映画を見終わったあと、こうなってしまった原因を自分自身で分析したところ、以下の2つが浮かび上がってきた。


No脳になってしまった原因
 
  • 自分が強くメリットを思い描けることにしか力が入らない
  • 人生経験を重ねるなかで、たいていのことは予想がつくようになってしまい、ほとんどのことにメリットを感じられなくなってしまった

→だから、ほとんど全部が「No」となってしまう(涙)

 私のことを「重症なやつだ」と鼻で笑えたら、ブラウザーの×ボタンを押してこのページを閉じてもらってOKだ。
 でも、もし少しでも「似ているかも」と思う部分があるのなら、どうか聞いて欲しい。

 何か新しいことや頼みごとをされたときに、頭のなかで初めから終わりまでパパッと計算してしてしまいませんか。そして、そんなことをやっても意味がない、傷つくだけ、といつもの結論を下してはいませんか?

 もし、そんな風にNoが習慣化してしまうと、やがて私のように選択肢はなくなって、退屈なダメダメ・エブリディになってしまいますよー。


1.実は、自分の頭で考え出せているメリットや幸せなんて、とても限られたものだ

 自分が今「幸せだなぁ」と感じることを思い出して、それが

  1. 自分で意図的に計画・行動して得たものか
  2. 自分が意図していないのに得られたものか

 分類してみて欲しい。

 私の場合、(1)については、勉強や仕事、その他の趣味で努力して結果を残したことなどが思い浮かんだ。
 (2)について「俺の人生に、そんな棚ボタ的なラッキーなことなんてあるかい!」と思ったが、よくよく考えてみたら、あの人に出会えたこと、まさか自分が結婚できたこと、ピンチの時に助けてもらったこと、予想外のところで仕事がつながってうまくいったこと、などなどたくさんあった。

 そして、びっくりしたのは、純粋な目的であれ、打算的な目的であれ、(1)で達成したものは、「過去の栄光」的に、すぐに色あせてしまうことだった。例えば、私は昨年、夢であった本の出版を成しとげたが、意外と出してみると、それが普通になってしまい、たいしたことではないと感じるようになってしまった。
 仕事での小さな成功をしたことも、いい大学をでたことも、「アハハ...、良かったね」という感じだ。(もしかして、お金も名声も、手に入れたら、こんな感じなんじゃ...)

 まわりにNoを言って自分本位で手に入れた幸せは、カンフル剤みたいにワッと効いて、ワッと過ぎ去っていく...。

 しかし、(2)は、そうではない。意図せず手に入れた幸せほど、不安定な私を支えるささやかな幸せとして、今でもそばにたたずんでいる。漢方薬みたいにじわじわ効いて持続している。
 中でも一番、幸せを感じているのは結婚で、結婚前は「結婚なんてバカバカしい、人生の墓場だぜ!ヒャッハー!」といっていたのにも関わらず、今は、神に感謝している。家族を持てたことで、この世に生を受けた実感ができた。ああ神様、ロクでもない行いをしかしていなかったのに、こんな偶然の幸せをくれてありがとう。

 自分が頭でこねくり出した人生のメリットなんて、実は小さい。
 「合理的」に考えだして、得られる幸せは手に入れた途端に、幻滅させられることもある。
 「自分で得た幸せ < まわりからもらった幸せ」だ。

 私たちは、予想だにしないところから、大きな幸せを得ている。Yesと言わないのは、その可能性を丸々ゴミ箱に捨てているのと同じだ。

  狙っていなかったところに、いいことあったかも!
  それを思い出したら、Yesを言いに行こう。


2.Yesといって「献身的ハイ」を初体験してみよう

 ご存じのかたも多いと思うが、以前「宝塚のブスの25箇条」というものがTwitterで出回っていて、私のところにも飛んできた。私は小アウト、中アウトがたくさんあったが、一個だけ猛烈に超完全アウトなやつがあった。

 それは「他人に尽くさない」というものだった。

 私は、完全にエゴイストで、人に尽くしていなかった。俺は他人の道具ではないし、使われたら、負け。利用されるのは真っ平だ、といつも警戒していた。

 主人公のジム・キャリーは、ある出来事をきっかけに、何にでもヤケクソ気味にYesをいって、何でも引き受けはじめる。スパムメールにも、Yes、訳の分からないコスプレパーティにも、Yes。そして、一度Yesといったら、自分の労力や時間やお金がどうこうなどと考えず、楽しんでやり切る。

 よく成功したエラい人が「結果を期待しないでプロセスそのものを楽しみなさい」的なことをいうが、彼も友人や恋人、はたまた他人にまで尽くすこと自体を楽しめるようになってくる。ドライバーズ・ハイならぬ、人に尽くすハイだ。

 人の幸せの大部分は、だれかが喜んでくれることにある。
 (だって、だれも喜んでくれなかったら、涙がちょちょ切れちゃうよ?)
 そう考えると、Yesをいうことは、とても有意義なことだ。


3.やらなかった後悔より、やった後悔

 現実は映画ではない。Yesといって、何かを引き受けると失敗することもある。何でも引き受けたらツブれることもあるだろう。

 「やっぱりやんなきゃよかった!」
 と叫びたくなるほど、クソみたいな気持ちになることがある。しかし、クソは土を肥やし、万物を育てる。失敗ほど、人生の肥やしになってくれるものはない。

 先日、私は失敗をしでかした。
 たくさんの本に「やっちゃいけない」と書かれていることをやって、大失敗した。とても後悔している。でも結局、やってみなければ、気がすまなかった。いつまでも、悶々とそこに立たずまり、人生はストップしたままだったと思う。結局、本で勉強しても、他人に何か言われても、自分の身をもって体感しないと、身のある経験にはならない。私たちは子供みたいに、試してみたいとムズムズしている。

 やらなかった後悔よりも、やった後悔。
 時にはそう思って、運にまかせてYesを言ってみるのもいいのかもしれない。いいマスでも、悪いマスでも、ルーレットを回して、人生ゲームのコマを進めるのは悪いことじゃない。じっとそこに立ち止まって何もしないよりはね。



 

This article is INSPIRED by
  イエスマン "YES"は人生のパスワード
  宝塚式「ブスの25箇条」に学ぶ「美人」養成講座 (講談社+α文庫)

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