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「私は必要とされてない」と思うのをやめると、まわりも幸せになる

「私は、そんなに人から必要とされていない」
「私は、"そんなに"人から必要とされていない。」
そう考えて、身を引いてしまうこと。僕はよくあります。
とはいっても「僕は完全にだれにも必要とされていない!」と絶望しているわけではなく、あくまで「そんなに」必要とされていない、というドライさで。
進んで手を差しのべないといけない状況にでくわしても「まぁ自分がやらなくてもいいか」と思って見過ごしてしまう。
一生懸命生きてきたけれど、この"慣れきって感じなくなった寂しさ" ――――"あきらめ"というような"悲しみ"というようなモヤモヤ――はとれることがなかった。
「私は、そんなに人から必要とされていない」という思いは、人を傷つけている
「私は、そんなに人から必要とされていない」と思っている。
だから「悪気なく」ぶっきらぼうに、ふるまってしまうことがある。
だれかの誘いや助けを求める声を、無碍にスルーしてしまうことがある。
なぜなら、「私はそんなに必要とされていない → 断っても迷惑がかからない → だから別にOK」と思っているから。
「きっと、ほかにもっといい人がいますよ。じゃ失礼!」
謙遜している体で、こんな風にいう。
だけど、本当はこういうことは良くないことも知っているし、大事な人とのつながりをダメにしてきたことも、大きなチャンスもフイにしてきたことにも、気がつきはじめている。
一番ショックだったのは、こうした考え方が、思いもよらないところで人を傷つけていた、ということだ。
「私は、そんなに人から必要とされていない」という思いが、人を傷つける理由
「私は、そんなに必要とされていない」という思いは、あなただけではなく、だれの胸にもほんのちょっとずつある。
大人になってくると、立派だと思っていた人たちの中にも、弱さや悲しさがあることに気がついたりする。尊敬していたお父ちゃんも、毅然としていたお母ちゃんも、ビビッていた上司も社長も、仕事をともにする有能なパートナーも、威勢のよかった彼女も、大きな口を叩いてた彼氏も、友だちもみんな。
だれだって、自分と同じ。必要とされたい。精一杯だ。
それをふまえた上で、「私は、人から必要とされていない」と思いつつドライに人と接することが、相手にとってどう感じられるのか考えなおしてみるとゾッとする。
冷めた態度、やる気のない感じ、テンション低い、煮え切らない感じ。
これは「あんたなんて必要としてないよ」と取られてもしかたのないメッセージを発してしまっているのと同じだ。
人を傷つけている、といってもいいだろう。
......うぅ、ごめんなさい。
木上さん、雅美さん、岳下さん、山田くん、お母さん、お父さん。
「受け取ること」は「与えること」
人生を「必要とされていない自分が、いろいろな人から審査される居心地の悪いオーディション会場」だと思うのをやめよう。
そして、まわりの人にも「人生はあなたを厳しく審査するオーディション会場じゃないよ」と伝えるように接していこう。
だれもが、必要な存在になって何かを与えられる人間になりたいと躍起になっている人生を意味のあるものにしたいと渇望している。
そういったなかで、その人を尊重して、その人から「受け取ること」は、もっともハートフルでうれしい「与えること」になる。
もし、自分には価値がないと思い引け目を感じているのなら、「自分は価値があって必要とされていると思って生きること」をオッケーとしてしまおう。
それが、まわりの人を幸せにする原点なのだから。

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